創業物語

なぜ起業したか?

私がオーナー企業経営者のリスク・コンサルティングを開始したのが2009年。外資系生保営業として経営者向けの生命保険販売としてのスタートでした。前職は求人誌の広告営業を15年以上していたことも重なり、オーナー経営者側へソリューションを提供する仕事は、ごく自然な流れでした。そんな私が提供する解決策が求人広告から保険に変わっても、オーナー経営者へ貢献したい強い思いは変わりませんでした。入社当初はアポが取れず保険業の洗礼を受け大変苦労しました。そして苦しくもなんとか新たなご縁を頂いたオーナー経営者の支持を再び得て業績も伸び出し、3年目から毎年の社長杯の該当、世界基準のMDRTの成績資格基準も果たせるレベルにも達して参りました。

そして保険営業10年が過ぎた辺りで一つの答えが見えてきました。

「営業とはお客様の抱えているさまざまな課題や問題を解決すること」だと・・・

それ以来

まず私は・・・

自分が売りたい商品の売り込みではなく

お客様のお困りごとは何か?

今抱えている不満や問題は何か・・・

何を目指しどうしたらそれが達成できるか

私は何でそれらに貢献できるか?

を常に考え行動して参りました。


様々なお客様の抱えている問題解決や目標達成の手助けを通じて、営業で出会った信頼出来る各分野のプロフッショナルな専門家を繋いで解決に導くサポートも微力ながら心がけて参りました。

しかし時代の変化は本当に速く、意識の高いオーナー経営者のニーズを知れば知るほど、メーカー1社専属での商品・サービスだけでは、これからの時代お役様から選ばれ続け解決に導くのは非常に難しいと感じてきました。やはりメーカーや商材の垣根を取り払い、より柔軟にお客様ニーズに合致した解決策の提供が必要であるという強い危機感から、解決策の幅を保険以外にも広げるためには起業しかないと決断致しました。

なぜM&Aで法人を買ったのか?

保険以外の解決策として、オペや不動産小口化商品も法人格がないと代理店にすらなれないという現実を知りました。その為以前から法人格が欲しい旨を顧問税理士に話していた所、ご高齢で急遽廃業を決めた会社の話を頂きました。話を伺うと私が知っていたご高名で尊敬していた吉田社長の2つ目の法人であることを知りました。奥様とは母親が奥様の着物服を仕立てていたご縁で、ご自宅でのお花見に母が呼ばれたり、一緒に京都の祇園まつりにも母と参加させていただいたこともありました。そんな不思議なご縁も重なり、私がゼロから起業するよりも、業態や役員は違えど、吉田様の企業家としての精神や思いを僅かでも継承するつもりで、また吉田社長に恥じない会社にしたい、引き継ぎたい思いから自社株を譲っていただきました。

なぜ経営者に貢献したいのか?

幼少期父親の経営する料亭の破綻により、夜逃げ寸前で祖母の実家である浜松市に母と越しました。債権者に追われ、夜中に裸足で妹を抱いた祖母と三人で逃げたのは今でも忘れません。

両親の離婚で債権は母親が全額被りました。苗字も変わり母は借金地獄、私は長いイジメの地獄の日々がスタートしました。そんな時に現在の父が母の経営する食堂を訪れ、やがて、血縁もない2人の子供と祖母、借金も全て背負い家族になって助けてもらいました。死にたいほどの地獄の毎日を逃げ出したくも、死ぬ勇気はなく、借金と血縁のない子供2人と祖母を支える今の親父に対し、グレルことも学校を休むことも出来ず、唯々耐え続け中学卒業まで通い続けました。

こんな幼少期を過ごした経験から、オーナー経営者の多くのご苦労は誰より理解出来ると思います。事業資金を借り、自宅を担保に連帯保障に入り、命がけで家族と社員、取引先を支え、常に孤独に負けず経営の最前線で戦うオーナー経営者に、仕事で貢献出来ることは本当に光栄です。

多くのオーナー経営者は常にリスクを取り、経営の最前線で日々戦っておられますが、雇用問題、借り入れ金問題、売上問題、納税問題、株価・事業承継問題など、知れば知るほど皆さん同じような悩みを抱えております。私の提供する解決策が本当に喜ばれるのは外資系生保時代の10年間で、多くの紹介をいただいた時から手応えを感じておりました。そんな思いから常に志高くリスクを恐れず家族の為、社員の為に経営に尽力されるオーナー経営者を心から尊敬し、精一杯サポートしたい思いから、これからも私を信頼しご縁を頂いたオーナー社長に対し利他の精神で貢献することをお約束します。

なぜ大っ嫌いだった保険業界に飛び込んだか?

リーマンショックで揺れる時期、これから来るであろう景気後退と収入減を肌で感じ、家計のコストカットで保険を安いネット保険に切り替えました。TVでCMが流れる顧客満足度NO.1の会社でした。

保険料も数万円下がり非常に満足していた矢先に、妻が交通事故をおこした。互い動いている交差点での接触事故。

お互いケガもなく後は両者の保険で済ますことで現場は終りました。しかし、後日『今回の過失は 10:0 でなければ裁判する』とまくし立てられ、過失割合を私が大きく譲歩したことが発端となり2年に及ぶ裁判がスタートした。

コールセンターを毎回たらい回しにされ、担当が毎回かわり、地元には通販保険で営業担当もなく、相談相手もなく心配な時が永く続きました・・・

一旦は自腹で示談も考えましたが、現金振り込みを示談前に要求されたので、最終的に非常に不安でしたが、妻も私も人生初の裁判がスタートしました・・・

この経験を通じて保険は加入の入り口も大事ですが、給付の出口はもっと大事だと分かりました。多少の価格差なら地元ですぐに相談できる営業担当が本当に必要だったと後で気づきました。この裁判が終わった2年後、湧き上がる使命感を感じ保険の募集人をやると覚悟が決まりました。保険業に興味を持ち転職したいと考え10年の時間が過ぎておりました。もし保険業にチャレンジせずに、今の求人広告営業を続けていたら、死ぬときに絶対後悔が残ると確信してました。

当時の年収は歩合給で生涯最高の年収1500万円。これを捨てフルコミッションの世界に、三女を妊娠中、家のローンも親の実家分と合わせて2件分抱えての転職は本当に怖かったです。しかし、現状にしがみつき、自分の心からの使命を諦めても、今後大きな後悔を抱え、やがてじり貧になる将来が見えておりました。妻には2年で収入を1000万円に戻すと約束し転職しました。実際同じ収入を超えたのは3年目だったが目標は3年目になんとか達成出来ました。

初めての死亡保険金給付

初めての死亡保険金の給付は、私の法人営業を育ててくれた上司の死でした。

ある日の夕方警察から携帯に電話がありました。

自殺による死亡で、遺書に給付の手続きについて連絡するよう記されていたそうです。

気が動転し涙が止まらず、それからしばらく死亡事故による調査が始まりました。

死因が死因だけに給付金が無事払われるか非常に心配したが、結果的に大きな給付金をお届けできました。お子様達の大学資金は大丈夫だと安心しました。


自殺の免責は3年。逝ったのは36か月目でした・・・


生前この上司は『経営者には死亡保障の厚い終身保険を売れと熱く語っていた。節税のスキルやテクニックに走るのもイイが、我々の王道の使命は死亡保障で契約者の家族や会社を守ることだ・・・』とよく聞かされました。

この経験は心から死亡保障の重みを学ぶ貴重な経験となりました。

ご契約者のご家族から 井上に任せてよかった。

ありがとう・・・

といつの日か感謝される仕事を常に心がけています。


■なぜ保険以外のソルーション(解決策)も提供を始めたか?

ご縁を頂いたオーナー経営者の不満や悩み、課題を知れば知るほど現状維持が通用しない、本当に厳しい時代だと日々感じておりました。保険でご縁を頂いたオーナー経営者の多くは、皆さん同じ悩みや不満を抱えておりました。そこで、自ら法人を構え保険以外の様々な解決策の提供通じても、更に貢献して喜んでいただこうとの想いから決意いたしました。

①区分所有不動産
 相続・株価対策、また本業に連動しない新しい収益事業として

②区分所有小口化商品(住居系・商業ビル系)
 相続・贈与対策,個人の資産運用として
 ※弊社はお客様からの3%仲介手数料を取りません。

③売掛金保障
 コロナで取り引き先の売掛金保全は非常に大事です

④日本型オペレーティングリース(航空機・コンテナ船・ヘリコプター・小型ジェット他)
 自社株の評価減対策、生保ピーク対策、利益調整として

⑤社会保険料削減コンサル
 多くの優良法人のお客様で導入いただいております。
 提携社労士をご紹介します。

⑥停止中年金復活コンサル
 多くのシルバー経営者から年金復活で喜んで頂きました。
 提携社労士をご紹介します。

⑦過払い相続税(5年以内)請求支援
 弊社の仲介で掛川税務署より約2700万円還付されました。
 提携税理士(相続専門)をご紹介します。

⑧過払い固定資産税の見直し代行
 現在も多くの紹介を頂き調査中です。
 提携税理士(相続専門)をご紹介します。

⑨キャプティブ海外法人設立支援
 年商100億円以上 海外法人設立相談は是非

⑩1000万円以上の役員貸付金清算プラン
 悪勘定をそのまま放置していますと銀行融資が滞り、将来の資金繰りに影響が出ます。今すぐ取り組みが必要です。


井上勝彦プロフィール

生年月日:1968年8月3日
家族:5人

1987年 静岡県立浜松城北工業高等学校 電子科卒

職業履歴

1987年 DJ 浜松市、静岡市、金沢市、横浜市で活動
      その後6か月の渡英し帰国後廃業
1992年 衆議院議員 故 安部元雄事務所 私設秘書
1994年 有限会社アトレコーポレーション 店長
1996年 株式会社週刊テレビ 
      求人誌チャンス広告営業 課長 売上1億円達成
2009年 マニュライフ生命保険株式会社
      MDRT 成績資格会員5回登録
      2013年マンスリー全国1位2回該当
      社長杯6回該当
      マスタービルダー1スター獲得
2018年 生損保乗り合い総合保険代理店 入社
2019年 M&Aにより法人取得 株式会社ミヨシ 設立
      2020年・2021年度MDRT COT成績資格会員
      2022年MDRT成績資格会員該当

趣味
音楽鑑賞(ブラックミュージック全般)、NETFLIX、映画鑑賞、海外旅行、
LIVE鑑賞、モダンアート鑑賞、YOUTUBU鑑賞 読書、他

参加研修
ブライアン・トレーシー
Dr.ディマティーニ
アンソニー・ロビンズ
ジェイ・エイブラハム
ロンダ・ハーツ(ザ・シークレット)
ジェームス・スキナー(9ステップ)
山口佐貴子
小林一光
五島 聡
牧野克彦
幻冬舎コンサルティング
吉永秀史
税理士井上得四郎
税理士見田村元宣
BNI
倫理法人会 富士研


※自己投資には多額のお金を投じました。しかし残念ですが中には詐欺で騙された酷い勉強会もありました。

目標
生保マンとしてMDRT TOT資格会員になる。事業オーナーとして高値安定経営のビジネスの仕組みを確立し、物心共に豊かな生活を実現し家族と社員の幸せを実現する。